2009年 5月28日 広島(広島城、宮島)、江田島、呉 3日目−3

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GWの旅行から帰ってきてひと月もたたない頃、そして前回の広島からおよそひと月、またしても(以下略)
その期間の天気予報を調べてみると、早くも入梅かと思わせる雨の予報の連続、
所用を済ませて、そのまま帰ってきてしまうか、それとも... と一応ホテルの予約を済ませました。
目的地を物色していたところ、宇品港と宮島、小用港(江田島)を経て呉港のフェリーと高速船2日間乗り放題、
という周遊券があり、これをメインに組み込んで、計画を立てました。

蓋を開けてみると、明らかに雨が降る予報にも拘らず、何故か広島周辺だけは晴れ、
しかも、夏のように蒸し暑い...

結局雨に降られたのは、あの時だけです(謎)

横須賀の軍港巡りといい、この旅行の写真といい、何か軍事色が強いですが、軍事関係に特別興味があるわけではありません。
車を運転しないので、基本移動が電車、観光地で駅があるのは城下町や港町が多い、とまあ、その他諸々の理由で、
電車、船舶、お城の写真が多いのです。

パンフレットには、休日は混雑のため入場制限をすることがありますと書いてあり、確かに無料じゃ混むだろうな、
と思いながら、先ほどフェリーから見えた空に浮かぶ大きな潜水艦へと向かいました。
が、時間的にそれ程混んでいないらしく、スーッと入場できました。

自衛隊の広報資料や、機雷や魚雷などの仕組みや海上自衛隊が行っている掃海の仕事の説明や実績などの広報資料、
潜水艦の内部の様子を再現した展示があります。

それらを見ながら上へ上へと上って行くと、最後にたどり着くのは、本物の退役潜水艦です。
なるほど、展示室だけ見ているとそれなりに広く、人が増えても問題なさそうに見えますが、
潜水艦の中は1人がやっと通れるような狭い場所なので、ここに人が殺到したら収拾がつかなくなります。

ここも空いていたので、待ち時間なしに見学することが出来ました。

狭い通路の左右には、船員の仮眠施設や調理場などがあり、その狭い通路を抜けると、
通信室や戦争もののテレビや映画などでよく見かける、潜水艦のブリッジに出ます。

ここでは、潜望鏡を使用して、呉港の様子を見ることが出来ます。
タイミングによっては、これも戦争映画などでよくある、部屋のライトが赤くなる演出をしてくれる場合があります。
その時の説明では、よく映画なんかの戦闘シーンで、部屋の照明が落とされて薄暗い赤になるのがあるけど、
あれはあくまでも緊迫感を出すための演出で、実際は、潜水艦は窓がないから昼夜の区別をつけられないので、
人間の体調管理などのために、夜はこうして赤い照明にして、夜だよということを体に知らせるためなんだよと。

通路が狭いので足早に抜けて、潜水艦の見学は終了しました。
潜水艦から出ると下へ下り館外へ、潜水艦を真下から眺めながら写真を撮りつつ、鉄のくじら館を後にしました。
呉港に戻り、再びフェリーに乗り込むと、江田島を経由して広島港へと戻りました。

呉港でフェリーを待っている頃から、空は急速に雲で覆われ始め、
広島港へ到着する頃には一雨あってもおかしくないような状況に。

呉港から広電本社前経由の広島行きの市電に乗り、紙屋町東で降りたとき、
なんとなく土の匂いが感じられました。

少し雨がパラついたということだと思います。

なんとなく夕立の気配を感じ、これから行こうとしているお祭りが無事に行われるかどうか、
それは神のみぞ知るということで、ひとまず、広島城公園を目指しました。

紙屋町の電停からは、南北に地下通路が伸び、紙屋町電停の直下付近には、お店が立ち並んでいて、
アストラムラインの乗り場などもあります。
この地下通路は北側に向かっては広島城公園の近く、市民病院まで続いており、雨に濡れることなく移動することが出来ます。
市民病院付近で地上に出ると、雨がパラパラと降り始め、次第に本降りとなってきました。

広島城公園の護国神社まで行き、お祭りが始まるまで軒先で待機、
恐らく衣装の関係上このまま降り続くと開催が厳しいだろうな、でも、まだ時間は20分ほどあるし、
ここは神様がなんとかしてくれるだろうと、祈るような気持ちで天気の回復を待ちました。

本殿ではみたま祭りの始まりを告げる儀式が執り行われ、大勢の巫女(もどき)さんが、
神妙な面持ちで儀式に参加している様子が見て取れました。

その儀式が終わりを告げる頃、次第に西の空が明るくなり始め、雨も小降りになってきました。
儀式が終わった後、神主さんが巫女さんに傘を差し掛けられ、松明を持ちながら神社の入口へと向かって行き、
神社の入口の松明へ火をつけると、続いて本殿に戻り本殿前の松明にも火をつけ始めました。

 祈りが功を奏したのか、雨は完全に降り止み、西の方の空はピンク色に染まり、いよいよみたま祭りの始まりです。
先ほど儀式に参加していた大勢の巫女(もどき)さん達が神社の入口へ向かって移動を始め、
巫女踊りの概要がアナウンスされた後、なんともレトロというか、大正〜昭和初期の歌謡曲風な音楽が流れ始め、
それに合わせて大勢の巫女(もどき)さんが、踊り始めました。

巫女踊りの曲目は全部で3曲あり、1曲目、2曲目は大きな輪でゆっくり回りながら踊り、
3曲目になると中央の台から鈴(神社で巫女さんが振りながら走ったり歩いたりするやつ)を取りながら、
4つの小さな輪になり踊りが始まります。

 ♪私の〜 故郷〜の街、広島〜 リンリンリン大空に〜 リンリンリン鳴り響く〜(って歌っているような気がする)

後の2曲はよく覚えていないけど、1曲目は豊穣の舞っていうんだったと思う。

ネット上で見ていると、踊りがぎこちないとかいう感想が多かったですが、確かにそうです。
まあ、人数、参加年齢などから考えて、毎日集まって練習なんて出来るわけないから、1回か2回程度練習に参加して、
後は直前に数回練習といった感じなのかな。

所作が1曲で4〜5パターンくらいしかなくて、それの繰り返しだから、取り敢えず何とかなるんだろうと、
また、集団の中に赤、緑、青、紫のタスキを着けている人がいて、円形を変えるときとか、
分らなくなったらその人の動きを見ればOKという、ことなんだと思います。

巫女踊りが終わると、続いて本殿前で本物の巫女さんによる巫女の舞が奉納されました。
こちらは、巫女さんが鳳凰をイメージしたような羽根をつけて雅楽(テープですが)に合わせた形で舞うもので、
当然本職なので、所作は洗練されたものです。

最初、巫女踊りと聞いたとき、こちらのイメージを想像しました...
巫女の舞が2曲終わると太鼓の奉納があり、巫女の舞、巫女踊りの静的なそれとは趣を異にした、
躍動的な太鼓の演奏が辺りを包みました。

松明の明かりに照らされた中で太鼓を叩く奏者の顔が印象的です。

太鼓の演奏が行われているとき、本堂の前では、4本の笹が用意され、その笹で4mほどの正方形を形作り、
注連縄で間を繋ぎ、何枚かの御札のようなものと、花火が数十本下げ、といった次の奉納の準備が行われていました。