2009年 5月28日 広島(広島城、宮島)、江田島、呉 3日目−2

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GWの旅行から帰ってきてひと月もたたない頃、そして前回の広島からおよそひと月、またしても(以下略)
その期間の天気予報を調べてみると、早くも入梅かと思わせる雨の予報の連続、
所用を済ませて、そのまま帰ってきてしまうか、それとも... と一応ホテルの予約を済ませました。
目的地を物色していたところ、宇品港と宮島、小用港(江田島)を経て呉港のフェリーと高速船2日間乗り放題、
という周遊券があり、これをメインに組み込んで、計画を立てました。

蓋を開けてみると、明らかに雨が降る予報にも拘らず、何故か広島周辺だけは晴れ、
しかも、夏のように蒸し暑い...

結局雨に降られたのは、あの時だけです(謎)

横須賀の軍港巡りといい、この旅行の写真といい、何か軍事色が強いですが、軍事関係に特別興味があるわけではありません。
車を運転しないので、基本移動が電車、観光地で駅があるのは城下町や港町が多い、とまあ、その他諸々の理由で、
電車、船舶、お城の写真が多いのです。

高速船の乗り場に近づき、アレ船出てるんじゃネェと、思いつつもとにかく急いで走っていくと、
急いで急いでとおばちゃんに手招きをされ、それと同時に船が戻ってきました。

おばちゃんに手招きされたのは何故かという話は、約2時間前に遡ります。
高速船は基本的に予約をしなくても乗れますが、混雑期には予約をしていないと乗りっぱぐれる可能性があります。

それなので、帰りの時間がお決まりの場合は、
事前に予約をお願いしますという説明書きがなされていて、アナウンスもされます。
その時間に間に合わなくてもお金を取られるわけではないし、まあ、念のためと予約をしていたので、
おばちゃんが覚えていたと。

それ以外の解として、その方向に走ってくる人は海に飛び込む人か、
高速船に乗る人しかいないというのもありますが...

何とか無事に高速船に乗り込むと、高速船は広島港を目指して出発、広島港へ近づくにつれて、
朝と同じく空は厚い雲に覆われ、ポツポツと雨粒が落ちてきて来ました。
外に出ていると、雨が吹き付けてくるので、船室で休憩しダッシュの疲れをとりながら広島港へ。

広島港へ到着後、同じ岸に停船中の江田島行きの高速船に乗り、江田島へ向けて出発しました。
こちらの高速船は、宮島行きより小さい船で、航行中に立ち入れるデッキがないため、船室から海を眺めながらの移動となります。
空は相変わらずどんよりとした曇り空が続き気を重くしますが、江田島に近づくと若干薄日が差すような空模様となっていました。

江田島に到着し術科学校を経由するバスへ乗り込み、狭い住宅街を通って術科学校へと向かいます。
バスの乗客がそれなりにいたので、見学者も多いのかなと思いましたが、そのバスに乗っている人で、
術科学校前で下車した人は幾人かいましたが、見学は私だけでした。

見学者が何人かいるだろうという勝手な憶測で、誰か降りるだろうとマッタリしていましたが、
誰も降りなければ通り過ぎるところでした...

術科学校は自衛隊が管轄する施設なので、厳しい入門チェックが行われると思っていたら、
都道府県(住所まで書いたっけな、確か書いてないような)、氏名、年齢、職業、入門時刻、人数...

アレ、うちの会社と同じだな。

というわけで、無事入門受付を済ませて指定された待合所へ行くと、待っている見学者が30〜40人ほどいました。
ギリギリに来たので、すぐに担当の方が見えられて、簡単な説明を始めました。

担当の方は、事前にチェックした術科学校の見学者が書いた、HPやブログによく登場する江頭さんでした。
江頭さんの武勇伝は追々語るとして話を進めます。

待合所で説明を受けてからすぐに外へと出て、向かう先は講堂です。

入学式や卒業式その他諸行事に使用される大きな西洋風の建物で、中は広く天井は高く、
壇上には大きな旭日旗が掲げれていて荘厳な雰囲気を醸し出しています。

この講堂の特徴は、音痴な人でも歌が上手く歌えるエコー機能を搭載しているところです。

ここで江頭さんの歌謡ショーが始まります...
拍手を打つと龍が鳴くんじゃないかと思うくらい、エコーが効きますので、
歌声に自信のある人もない人も、一度お試しください。

そして講壇、まあ、掃除とかでは登るんでしょうけど、卒業式などの晴れの舞台では、
優秀な生徒しか登ることを許されない特別な場所となっています。

自衛隊も時代によって人気のあるときとないときがあって、少し前の世代の人では、
車の免許を取れるというので取り敢えず入る人がいたそうです。

就職氷河期には、就職難の煽りを受けて入隊を希望する人が多く、かなり倍率が高く入隊も大変だったようですが、
最近は海外派遣などが行われるようになったり、私も含めて規律を重んじる集団生活を嫌がる人が増えてきたので、
不景気で就職難ではありますが、人気は今ひとつといった感じのようです。

それなので、子は宝とばかりに、将来有望な少年たちを優遇しまくります(笑)

子供を登壇させて記念撮影を行ったりしながら、自衛隊どう? と勧誘攻撃の江頭さん。
まあ、子供の中では中学生が一番大きい感じで、他はまだ小さく10年〜先のことなので...

大講堂を出て向かった先は、赤レンガの建物、常に集団の後方へ位置取り、ゆっくりと写真を撮りながら歩きました。
さすがに自衛官だけあって声が大きいので、多少遅れても説明は聞き取れます。
この頃になると雲の合間から太陽が顔を出し、江頭さん曰く「あれ、この辺日差し強いんですよ知りませんでしたか?
半袖じゃ日焼け大変ですよ」と...

取り敢えず日焼け止めを塗りながら集団を追いかけました。
大きな赤いレンガの建物は、外国から輸入したレンガで造られ、今の値段で1つウン万円、
一つ一つ紙に包まれて、ブリキの箱に入れられて日本へ運ばれたそうです。

レンガを触ってみると、すべすべで、江頭さん曰く「これは〜20代の肌触りです、こっちの小さいレンガの建物は、
日本で作られたレンガで造られています、触ってみてください」実際に触ってみると、ざらざらしていて、若干黒ずんでいます。
「はい、こちらは...」というわけで、世の中の女性の半数以上を敵に回す発言を、平然と言ってのける江頭さんでした。
すべすべのレンガは汚れが付きにくく、建造当時の姿を今に残しています。

続いては赤レンガの建物の前を通り広い運動場へと向かいます。

ちなみに、この手は、アラウンドです。

この辺りになると青空が広がり、日差しが強く、それでいて湿度が高い、
木陰に入っていないと眩暈を起こしそうな、そんな天気になっていました。

運動場では、江頭さんから日本の国旗の話と旭日旗の話があり、この日の参加者で最も多かった福岡県ネタが披露されました。
日の丸は紆余曲折があり、他の国から譲ってくれと頼まれたことがあるという話や、最近まで日本の国旗として、
法律で正式には決まっていなかったという話や、法制化に反対したのが誰某だったとか、旭日旗の由来や歴史などが語られました。

その後、よく写真などで見かける、スラーっと長くのびた回廊をチラ見しながら、

「この字読めます? 読めませんよね?(笑)、その辺まで入って大丈夫ですよ」

と、読めない字の看板が立てられた奥の方まで入ってチェックしてきました。

普段は読めても、ある時だけ度忘れしたりして読めなくなることもあるのです(笑)

最後に訪れるのは、西洋の美術館風の建物にして、この見学コースのメインとなる、
旧日本軍に関する資料や、遺品、遺書などが展示されている場所です。

中に入るには脱帽、また写真撮影や携帯電話の使用及び飲食が禁止されています。
展示品保護ということも多少はありますが、この建物自体が神聖なものであるのが主な理由です。

内部の見学は自由行動で、時間になったら外に出て近くにある広場のようなところへ集合となります。
少し早めに出て、外観や回天などの写真を撮りながら、見学者が集まってくるのを待ちました。
ここは実際に訪れて雰囲気を感じてもらうとして...

表には、回天と呼ばれる兵器や、大和の砲弾が置かれています。
それぞれの由来や歴史については、各々調べてもらうとして...

見学者が集まりだしたところで、回天などの歴史や出来事を話し始めましたが、
書いてしまうと行くときの楽しみが減ってしまうので、ここで詳しくは書きません。

 と、ここで「アレ、何でだろう」と思うような不思議な状況に出くわします。

見学中に、江頭さんが見学者にいろいろな質問をして「わかりますか?」と適当に指名するのですが、
回天についての質問で、確か回天で最初に敵艦に突撃した人だったか、最初に搭乗した人だったか、
とにかく人物名について、私に「わかりますか?」と聞いてきました。

いきなり聞かれても分らないよと思っていると「アレ、群馬県の人なんですよ、確か前橋だったかな〜」

なるほど、それで質問されたのか納得納得...

アレ、何で群馬出身だって知っているんだろう、あー名簿か、そういえば国旗のときも福岡から来た人って、
手を挙げさせて、多いですね〜ってやっていたから、名簿を見てだいたい属性を掴んでいるのか、
レンガのところでも、東の3大レンガで東京駅、横浜赤レンガ、富岡製糸っていうネタもあったし。

そのあと「前橋って確か県庁所在地でしたっけ?」とも言われました。

ん、なんか群馬について詳しすぎないか?

入門してから江頭さんが来るまでそんなに時間なかったはずだし、
相当記憶力が凄い人なんだなと、この時は思っていました。

が、このドッキリ大作戦は、私が術科学校に入門するとき既に始まっていたのです。
帰りに気付いたのですが、私の書いた受付名簿だけ別紙でした。

遅く来たから次のページだったという穿った見方も出来ますが...(逆だろ!)

そんなこんなで見学時間は終了し、見学前の待機所まで戻ります。

遅く来たから次のページだったという穿った見方も出来ますが...(逆だろ!)
そんなこんなで見学時間は終了し、見学前の待機所まで戻ります。

恐らく、何れ勃発するであろう高崎 vs 前橋の抗争を未然に防ぐために、自衛隊が陰で尽力を尽くしているに違いない。
でも、あれだけ仲違いしていながら、抗争に発展しないのは、栃木が抑止力になっているからだ。
栃木がなくならない限り、膠着状態なのだよ(謎)

この頃になると、空は完全に青空になり、今まで見てきた赤レンガの建物や大講堂もまた違った趣を感じさせてくれます。
薄曇り空だと空は明るくなりますが、建物には光が当たらないので、境界が微妙な感じになってしまうので...
そんなわけで、どんどん集団から遅れて行き、到着した頃には、既に解散となっていました。

港へ向かうバスの出発時刻まで、まだかなりあったので、お土産物屋さんを見て回り、
まだ、時間があったので、昼を食べようか迷いましたが、ご飯を食べるにはギリギリの時間なので諦めて、
待機所で待っていると、次の時間の見学グループが集まりだして、すぐに出発して行きました。

私が参加したグループに比べると人数は少なめでした。

バスの時間も余裕をみておいた方がいいなと、術科学校を後にしてバス停へと向かいました。

入口の受付で出門時間を書いて見学はすべて完了です。

バス停でバスを待っていると、白い制服を着た坊主頭の術科学校の生徒さんがやってきました。
この日は土曜日だったので、家に帰ったりするのでしょうか、3人ほど一緒にバスへ乗り込みました。
バスは港へ到着し停泊していた呉行きのフェリーに乗り込み、呉へと向かいました。

いや、この文章はバスがフェリーに乗りこんでいる風な感じだな...
すぐに広島へ戻っても良かったのですが、時間的に余裕があったので、折り返すだけかもしれないけど、
取り敢えず様子見で呉まで行ってみようと...

次に向かう呉ですが、計画では翌日も呉に行く予定となっています。

呉の見所としては、まず呉港の近くにある大和ミュージアムと鉄のくじら館、少し離れたところに、
見学が可能な自衛隊の関連施設(見学可能な日時あり)などがあり、江田島の術科学校の見学などと合わせて、
軍事マニアには堪らないポイントとなっているそうな。

呉港に近づくと、空に浮かぶ潜水艦が見えてきます。
呉港に到着し、フェリーを降りて、明日のために観光案内所でいろいろな施設のパンフレットなどをゲットして情報収集、
鉄のくじら館が、まだ見学可能時間で、自衛隊の施設で入館料も掛からないということで行ってみることにしました。